言い様のない不安

新しいパート先が見付からないからとか、生活の不安、これから先の子供達の成長に対する不安、どれも違う。

 

自分では健忘症の一種だと思っていたが、どうやら別人格があるようだ。

 

自分は親から愛情らしい愛情を受けた覚えはない。母親は本当か嘘か、パートに出ていた為幼い頃から朝起きたら誰も居なくて、朝食になるような物を自分で探して食べる。何もない無い時は我慢する。

 

母親の作るご飯は夜の一食のみ。ご飯の前後のタイミングでお手伝い名目の奴隷作業が始まる。

 

風呂洗いや部屋の片付け、食事終わりには母親の身体を全身1時間掛けてマッサージさせられる。こうゆう事をしないとウチの子ではないと言われる為、強制的だった。

 

マッサージが終わると母親は深夜までゲーム三昧。パートがない時でも朝起きてこず、昼頃まで寝てる生活だった。

 

父親は特撮物だとか色々な物を買い与えてくれて好きだった。ただ機嫌が良くてシラフの時だけの話だが。

 

機嫌が悪いと口調が変わり、物に当たる。更にはアル中で外で呑んでケンカしてきたり、呑み屋ごと破壊したりして警察と一緒に帰ってくる事が多かった。

 

まだ幼かった自分の家には母親方の祖父母と母親の兄弟も同居していた。

当時はバブルで働けばドンドンお金が入ってくる時代で儲けたお金でマンションを買って住んでいた。

 

毎日毎日自分の城として買ったはずの家に義両親がいるからストレスで爆発した父親が暴れに暴れた。おかえりと声を掛け近寄った幼い自分の胸ぐらを掴み、父親の顔の高さまで持ち上げられ口汚く罵られた。

 

家に居た全員が父親に畏怖し一室に閉じこもって警察へ通報した。警察がくると都合良く爆睡を始める父親。結局これが原因で祖父母や叔父達は出て行った。

 

それからだった。酒に酔った勢いで罵られたり、言い返すと暴力を振るわれたり。

 

そうした不幸な自分を呪って幼いながらに考え付いた方法で死のうと思った。

タツに閉じこもって出力を最大にして寝ていたら死ねると考えた。

 

その時の事は強く覚えてる。まだ誰も居ない昼間に決行した。ひたすらにコタツの中で

 

「僕は産まれてきちゃダメだったんだ。ずーーーっと目を閉じて静かになったら本当の家族のとこに行けるんだ」

 

ずっと繰り返してた。

多分この時か、若しくはこの時期の前後に悲痛な状況から逃げようと別人格が出来たらしい。

 

今に至るまで色々な事があった筈なのに覚えてない事が多すぎる。

自分には全く記憶にない、酷い事を妻に言ってたりするようだ。

 

 

過去に離婚経験もあるのだが、その当時の事がスッポリ抜け落ちている。

異性と関係をもつのも異常に多く 、またその大半の顔や名前を覚えていない。自分のケータイ履歴やネット上に残ってる情報を照らし合わせると300人くらいと関係をもっていたようだ。

 

いつ自分の人格が変わってしまっているのか、恐ろしくてたまらない。

 

子供達に心無い言葉を浴びせていないか、妻に酷くあたっていないか、不安でどうしようもない。